SFの論法類型:ありえない物をありえるようにする方法論
雑文。
◆SFの論法
神林長平、円城塔、飛浩隆、伊藤計劃など、「ことばそのもの」を対象としてSFを書く人は多い。この場合のSFはサイエンスフィクションというよりもむしろ、思索小説とでも呼ぶべき場合がある。
SFを書くにあたってはいくつかの論法があり、その類型を以下に記載する。
◆例えば、「娘から母が産まれた」を可能にする方法論
現代の感覚では普通に存在しえない文章があって、それをいかに成立させるか、がSFの一つであったりもする。例えば「娘から母が生まれる」ことは今の所原理的にありえないが、以下の方法を駆使すればありえることにもできる。
1:言葉の定義によって
ごくごく単純に、「娘」という名前の人から、「母」という名前の人が産まれた、ということにする。名前というものが意味をなさなくなった世界を想起させる。ディストピアものっぽい。
2:文学的意味合いによって
「娘」という客体がいて初めて、母は「母」として存在できるのであり、その意味において「娘」が初めて主体を「母」足らしめた、という論法。SFというよりはどちらかといえば、純文学というか、「そして父になる」的な、母としての成長物語を予感させる。
3:SF的ギミックによって
例えばタイムマシン。時間のあり方を歪める科学技術によって、娘と母は再生産をし続けることが可能になりました、という書き方。これはもう時間SFとしてしか存在できない。
4:命名規則によって
遠い未来、今でいう「母」が「娘」という意味に、「娘」が「母」という意味に成り代わってしまった世界での出来事、ということにする。これによってお話全体は「どうしてことばの意味が入れ替わってしまったのか」が語られることを運命づけられる。
◆SFを書くにあたって:びっくりワードの説明
前職では、人の興味を惹きつける言葉を「びっくりワード」と呼んでおり、ワードの中身を説明することで人を納得させ、より深い共感に誘ったり、印象を操作したりすることが営業プロセスの一つだった。SFも(というよりも興味を誘うお話全般も)、冒頭の一文が意味不明であり、そのあと世界観やギミックや謎の提示や解明と共に、冒頭について「ああそういうことだったのか」というように仕掛けられることはよくある。
映画にもそういうことはよくあって、謎解きの最大のヒントはアバンタイトルに隠されていました、とかそういうことがある(SAWの一作目とか)。
◆だからといって
SFを書く手法がわかったからといって、自分で書けるかというと別の話だよね、という話。