スカイウォーカーの夜明け/僕は新三部作に何を期待していたのか?(感想)
※「スターウォーズ EP9/スカイウォーカーの夜明け」について、以下ネタバレの記述があります。未鑑賞の方はご注意いただければ幸いです。
▼これ以上ない「よかったね」感
スターウォーズが終わった。終わってしまった。今後もEP10〜12が作られるらしいけど、少なくとももう劇場へは観に行かないだろうな、と思う。そんなわけで僕のスターウォーズはもう終わりました。劇場で「デデーン!」のファンファーレを聴くこともなくなるであろうことはとても寂しいです。
全体として、めちゃくちゃ「よかったねえ!」という映画でした。映画が良かったという意味ではありません。映像も良かったし、JJはとにかくファンサービスがすごい人なので「ほらコレ!コレEP○○の××ですよ〜!どうスか!どうスか!」っていうものすごい歓待を2時間受けまくる、という意味でとても良かったし、BB-8は相変わらず可愛かったし、音楽は相変わらず最高だし、ストームトルーパーは相変わらず間抜けで愛らしいし、なんといっても「スターウォーズを(一応でも)きちんと完結させるにはこれしかなかった」という意味で、とてもスターウォーズしていた超弩級エンタメでした。
ただ、僕はもう言ってしまいたい。スターウォーズ好きの友人からは批判を受けるのであまり大きな声では言えないけれど、EP9を観て確信した。
僕はあのEP8が、あの、文脈の外に飛び立とうとする映画が好きだった。
▼スカイウォーカーシリーズが完結してない
あえて何が完結したのかといえば「パルパティーンの物語が完結した」です。だってそうじゃないですか。パルパティーンの孫として、それでも暗黒面の誘惑に負けず(余談だけどパルパティーンが暗黒面に誘う時の描写が「ザッツ皇帝」って感じでとても良かったです)、ジェダイとして歩んでいく、ということを決断したレイが一番最後に「レイ・スカイウォーカーです」って言っちゃってるんだから。あの瞬間にパルパティーンの話は全部終わったんです。スカイウォーカーの血筋は確かにベン・ソロがフォースと一体化したことで絶えてしまったけれど、もはやスカイウォーカーは苗字とか血筋とかではなく「概念」になってしまった。
▼伝統・あるいはお家芸について
ジョージルーカスが作った旧3部作は、映画を観ている僕たちからしても、映画の中にいるレイやフィンからしても伝説になっていて、その意味で「歴史は繰り返す」というクリシェを(特にオールドファンに対して)することは、その伝説に敬意を払う行為であると思う。特にスターウォーズは(私も含めて)面倒くさいお客さんがたくさんいる分野なので、意味わからんことをやってしまい炎上してしまうくらいなら、最新の映像でEP6を再現するのが最善であることはわかる。
でもじゃあ、なぜEP9が「相変わらず」で修飾されてしまうのか?
そこに「提示」がないからだ。
▼改めてEP8とは何だったのか
EP8には「提示」があった。それが良かったか悪かったかはまさに賛否両論あるわけで、悪かったと思う人からすると「EP8の所為でEP9は伏線回収まっしぐらの忙しい作品になったしまった。JJ頑張ったな、よくやった。マジでEP8は戦犯」となるんだろうなーというのもわかる。確かにEP8が特に新しくもなんともなかったらEP9は筋書きが違っただろうとも思うし、EP8が戦犯扱いされてしまう理由もわからんでもない。
でも僕は戦犯扱いしない。EP8は「新しいスターウォーズ」を提案してきた。そしてそれに乗らなかった人が多かった、というだけだ。僕は正直、この「新しいスターウォーズ」を観てみたかった。フォースや、ジェダイといった概念が拡張して、あまねく銀河に偏在するもの、誰もがジェダイになれる時代のスターウォーズを(ミディクロリアンの設定が黒歴史化するとしても)観てみたかったのだ。なんならレイなんてマジでそこらへんの一般人であってくれても良かった。
確かにEP8も、映画として色々破綻してたり、レジスタンスが軒並みバカだったり、ポリコレ臭がすごいとか、ローズがウザいとかローズがウザいとか色々ありますよ、そりゃ私も手放しでEP8最高とは言いません。でも、新しくなかったですか?僕は今年で31になるのだけれど、プリクエルにしても「ダース・ベイダーが如何に誕生したか」というもの(つまり親父の世代にどう繋がるか)であって、厳密に言えば「僕らの世代のスターウォーズ」ではなかった。EP8にも言いたいことは色々あるけれども、「遂に僕らの世代の、新世代のスターウォーズが始まるんだ!」とものすごくワクワクしたことは、僕の中では揺らぎようのない事実です。
▼僕がスターウォーズに求めていたもの
でも結局「劇場でスターウォーズを観る」という経験はいつもそれだけで楽しい気持ちになれるし、今日映画館で観られて本当に良かったと思っている。なんなら帰りにヨドバシカメラで(完全に勢いで)X-ウィングのプラモを買ってしまった。スターウォーズが好きだ。その賛否も、マヌケな帝国トルーパーも、可愛いBB-8も、レイアまで失ってしまって悲しみに悲しむチューバッカも、奇々怪々な宇宙生物も、メカも全部好きだ。
完全なるリスペクトを持ったまま、新しい文脈に移行しようとすること(≒自己批判を行うこと)は大変に難しいことだと思う。だからEP8はあんなに荒れたし、EP9はある意味で「戻ってきた」んだと思う。ただ、僕は映画にどちらかと言えばエンタメよりも挑戦と提示を求めているし、その意味でEP8のような、荒削りだけども新しい提示のある、挑戦的な映画が好きだった、というお話です(もちろんこれについても「それをスターウォーズでやるなよ」という批判があるんだろうけど、僕はスターウォーズでやっちゃって全然いいじゃんと思っている)。
▼追記
多分EP8を観終わった時に書いたメモが出てきたので貼り付け。もう長い文章になってしまったので下記を詳しく書くことはしません。ただ、EP8観終わった時からだいたい感想同じやなーという感じです。
◆「最後のジェダイ」と「時代の終わり」
→ “あなたたちの知っているスターウォーズは終わりました”という完全な宣言
→ 「ローグ・ワン」が果たした伏線としての役割:フォースという宗教について
◆「選ばれし者」から「偏在する素質」へ
→ ほうきを手繰り寄せる少年
→ アナキン・スカイウォーカーが見出されたときから、すでにフォースの偏在性は示されていたのではなかったか?「偏在」→「伝説」→「偏在」